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<市民記者板>前史・民族

 
2383 脱亜論の福澤諭吉 財閥、キリスト教、戦争を支援の事実
 
海堂 直也  (52) (東京都 - 大田区蒲田 ) 2016/09/16 15:16
明治政府の面々は、消して高い身分の者たちではない。伊藤博文は、長州藩の百姓の息子。井上馨は、長州藩士の次男、松方正義は、薩摩藩士の四男。彼ら下位の者たちが、私塾で学び、倒幕を実現し、明治政府では要職を占めた。伊藤と松方は、総理大臣、井上は、大蔵大臣を努め、伊藤内閣崩壊後、総理大臣の直前まで昇り詰めた。明治維新と言えば、彼らに焦点があたりがちだが、もう一人、重要な人物が居る。明治政府の西洋化を、市民に浸透させた福沢諭吉。著書「文明論之概略」で文明開化を謳い、彼が創設した慶應義塾生のジャーナリスト、鈴木券多郞が新聞社説で「脱亜入欧」を叫んだ。その福澤諭吉も、中津藩下級藩士の息子。やはり適塾で頭角を表し、その後自身が慶應義塾を開く。

福澤は、三菱創始者の岩崎弥太郎も支援、門下生を三菱商会に送り込むなどした。三菱商会の成立は1873年。慶應義塾開学の15年後。2年後の75年に元塾生の荘田平五郎が三菱に入社し、その後大番頭となった。福澤の曾孫は、丸の内一帯を所有する不動産会社三菱地所の元社長で名誉顧問だ。

井上馨は、大蔵大臣辞任後三井物産を興し、三井は、三菱と共に、政府の、台湾、朝鮮、満州進出を物資で支えた。その三井にも福澤諭吉も関わっている。福澤諭吉の姉の息子(つまり甥)の中上川彦次郎、その娘婿池田成彬は、それぞれ三井の歴代指導者。長州の伊藤、井上、三井と対抗した岩崎三菱だが、福澤は、そのどちらにも縁がある。

更には、キリスト教宣教師にも洋館を建てるなど支援した。その宣教師が創立した聖アンデレ教会で、松方正義の孫の正信と福澤の曾孫てる子の夫妻の葬儀が、それぞれ行われたと言う。

福澤は、政治家ではなかったが、教育で明治の近代化を支えた。財閥会社には、塾生、子孫を通じて影響、自らも日清戦争の戦費支援などを行っている。太平洋戦争後に福澤の「脱亜論」が発見された際、亜細亜蔑視と批判された。一方で民族を貶めた事はないと擁護されもするが、福澤の論説や、塾生、更には子孫らが、明治以降の日本の近代化を実現したのは事実。彼らは、決して江戸の泰平、先進を振り返ることはなかった。

政府は、大陸へ進出した後、太平洋戦争へ突入し、敗戦。その後日本が無くなることは、なかったし、しっかり立ち直った。しかし、今なお人々の間に残る、経済至上主義、個人主義は、やはり福澤の「功績」。明治近代化と江戸の風化は、余りに極端に進んだ。心底にある思いやり、優しさ、勤勉が、唯一の救いだ。

 
 

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